感想 建築系ラジオ 越後妻有トリエンナーレ建築系総括「美術と建築の境界をめぐって」を聴いて。

美術関係者は一様に建築系の人の作品で良いものはと聞かれ、山本想太郎さんの「建具ノニワ」を挙げられていた。

この作品は建具(引戸や窓枠など)を組み合わせてそれらを白く塗って、重力を感じさせないように斜めに傾けていたりする作品。つまり白く塗る事で、建具の持つ意味を剥奪し直行座標をズラす事で、細材を際立たせ、華奢なものの美しさを際立たせたもの。

以前の放送で「こたつ問題」があって、美術関係者の方はおそらく鑑賞物としての完成度の高さを考慮して挙げられていたと思うのだが、山田幸司さんの指摘にもあるように山本さんに限らず、建築系参加者のヴォキャブラリーの少なさが問題だと感じた。

おそらく「意味の置換や剥奪」は美術と建築の共通の文脈であり、作品をその文脈にのせる事は美術、建築双方にとって受け取られ易く、分かり易いものになっていると思う。しかも華奢なものの組み合わせを際立たせる事は、それら以外の美術好きの人がみても魅力的だ。ただ、「白く塗る」事は「意味の剥奪」の方法としてもはや「形式化」している。前衛ではない。作品の完成度はあっても提案そのものの完成度は低い。高くするには文脈に従いつつ、違った方法で作品を作り、文脈そのものを揺さぶるしかない。今後このようなトリエンナーレで勝負していくには提案の完成度を挙げていく必要があると感じた。

放送の主題とズレてしまったので戻しておくと、山本さんのアプローチは美術トリエンナーレなどで建築系が提案する際のヒントになる(すでに主流なのかもしれないが)。なぜなら美術関係のイベントで建築系が求められるのは「建築らしさ」だからだ。つまり建築の文脈に沿い美術の文脈にも置き換え可能なもの。建築の例えになるが、sannaが国際コンペで勝っているのは彼らの作風に、軽さや透明感があり欧米からみると「日本らしさ」があるからで、コンペにおいて特異なものに見えたり、それを求められている状況があるからだ。だから変に美術的な提案をするのではなく、建築然とした提案が前提にあって、そこから美術にアプローチしていく方法が好ましいと感じた。